天の空間へふっとまぎれ込んだのだ
「 この様な星も見たいのですが
満天の星空を見たいです^^
あーーーー ぜひ次回は案内して下さいね♪♪
大気中の無数の六角氷柱の・・・・
の写真が一番 引き込まれました。
大好きです。 この写真!! 」
O l i v e さん
忙しかったGWもようやくおわり、遅まきながら、いただいたコメントのお返事を書かせていただいてます。
お気に入っていただいたあの大きな光輪の写真には、忘れられない思い出があります。
あの写真を撮ったとき、シャッターを押した瞬間、とても不思議な気持になりました。
目にしている光景が、今まで見たこともないとてつもなく大きな光輪で、その瞬間まるで誰かがしつらえたかのように雲が来て、うまく太陽を隠し、美しい白銀に輝いてくれたこともあり、何か特別なものを今見ているのだというような気持になったのです。
そして、その光輪の光りに照らされた、私を取り巻く世界が丸ごと神聖な時のベールに包まれたかのように思えて、この瞬間に出会えただけでもおこがましいのに、写真などに掠め取っていいのだろうかと、自からの品性の低きを悔やみ、その場にへたりこんでしまったのです。
もう訳も分らず、涙がボロボロ落ちてきて、風景が朦朧とかすみながら、頭が真っ白に、瞬時意識を失なったように思います。
そして後日、写真を見たときに、うっすら写ったもやに、涙まで写ってしまったと思いました。
これらのフォトアルバムの写真一つ一つ、いろんな心の中の旅路の思い出があります。
そして、それらに出会ったときには、いつも心にある印が浮かぶのです。
それは、富士の人知れぬ森の奥深く、流れる霧とも見まごう、シャクナゲの白い花群れです。
千の仏が走るように流れる霧そのものから、白い花の卵が次々と産まれるように、霧粒のレースの産着に包まれた花が、どこまでも咲きつづけています。
花が静かに開くにつれて、白蝋のようになめらかな花の肌をつつーッと水玉が流れ落ち、花の中はほの明るくて、それは命のあることを証す火がほのかに灯っているように見えました。
夕闇の中に蛍の火が灯り初め、やがてうす緑の光りの海となるように、霧の世界に白く淡い命の灯が灯りつづけて止みません。
そして、いつしか果てなく広がる霧そのものが、無数の花の白い炎に照らされて、命の灯を得た一つの大きな花となり、そこに咲いたとしか思えなくなるのです。
そして、私は気が付きました。
霧の海の中に、花の命が一つ二つと灯る毎に、薄いベールを重ねるように何かの気配が深まることを!
それはまぎれもなく静けさでした。
静けさがだんだんとその密度を増し、やがて全てのものが霧のなかに姿を消し、ただ霧だけが白い炎と燃えるころには、世界をこの世のものでないものに変えていくのを感じていたのです。
静けさは、音と違い発生源に縛られることなく、あまねく全てに充ち満ちるものでした。
そして、それは今や限りなく密度を高め、もはやはち切れんばかりでした。
しかし、その貌は森閑として水止明鏡の如く静まりかえるのです。
それは、賢治が『インドラの網』で語るとおりでした。
とうとうまぎれ込んだ人の世界のツェラ高原の空間から
天の空間へふっとまぎれ込んだのだ
見よ、あの天人を
一瞬百由旬を飛んでるぞ
けれども見ろ 少しも動いていない
もしその時、手に触れた白い花一つが、微笑みのためにその沈黙の禁を破り、ふと口を開いたなら、賢治が語るのと同じ言葉をつぶやいたでしょう。
ここではあらゆる望みがみんな浄められている
願いの数はみな寂(しず)められている
重力は互いに打ち消され冷たいまるめろの匂いが浮動するばかりだ
私が出会った様々な出来事の中に、私はこの白い花の印を見るのです。
私たちの目の届かぬ向うでも、この一つの花の語るような壮麗な出来事が粛々と、静けさがあまねく世界を満たすように、あらゆる場で営まれています。
そして私たちは、それに出会う機会を恵まれれば、それを美しいと思うのです。
しかし、人には美しいと思われる花や星も山や海も、全ては自らを見ることも知ることもできません。
それを「美しい!」と言えるのは人をおいてのみです。
それは、全てのもの達の純真な営みに捧げる、人が為しうるねぎらいと励ましの供物のようなものですね。