‘天使’を感じる瞬間がやってくる
富士は、澄み渡る大気のせいか美しい雲を産みます。
様々な緋色や金色の階調を帯びた雲が、華やかなロンドを舞い、打ち寄せるさざ波の波頭の染まるように、またはうっすらと紗を引いて富士を彩りながら、やがて暮色の中に消えていきます。
いつも私にとって雲は、ただ雲であるだけで喜びです。
それはあのサハラで、雲が何かも忘れてしまうカランカランの青空の下、駱駝に揺られた2ヶ月の旅の末、もう最後は乗っている駱駝の背に写る自分の影にさえ入りたいと思うほどでしたが、やっと目指すバンディアガラの大断崖の近くで、はじめて地平線の彼方に幻のようなサバンナの雲を見た時の感動がいまだに甦るからです。
八百屋の軒先に山と摘まれたオレンジ一個は、今でも私にはダイヤです。
砂漠が科す、あの狂うほどの喉の渇き、一個のオレンジをどれほどこがれたことか、真っ赤に焼かれた肌の痛み、砂嵐に大気を失う苦しさ、それらがフッと肉感を持って今の中に紛れ込むことがあります。
しかし、これらの懐かしく愛すべき友は、日々のこと柄一つ一つが、いかに恵まれたものであるかをそっと私に知らせます。
あたりまえの背後を支えるものが、いかに無量無辺なものであるかを指さします。
そして、どんな些細なものにさえ輝きを与えることができる、人の持つ一番ステキな力が何かを教えるのです。
【今】の尊さをもり立ててくれる私の‘天使’です。
天使と言えば、実は私も何度か会ってます(笑)。
「ウッソ~、ニシオカさんが~?!。」と云われるのも無理ないことで、勝手にそう思いこんでるだけですから。
それは、このサハラや赤道の海で出会うことになるのですが、天使が空を飛ぶのはあたりまえ、まさか海に潜るとは思わなかった(笑)。
若い頃、何度も赤道の海を訪れました。
そこは壮大な雲の生まれるところ、荘厳な朝日夕日を始め、風や花や人や蝶!(いまだに夢の中を飛ぶほど蝶の美しさは格別です)、全てのものに魅了されます。
とりわけ海!、そのの美しい魔力には、だれしもあがらえません。
南海の海に潜ると、確かにそこが37億年の生命史の発した場であることを納得させられてしまいます。
海の中は深く潜りはじめると、水の色は夕べの空が暮色にくれていくように、絹のようななめらかな青のグラデーションで変わります。
人の身で、大空のアポロンの為せる行を左右することはなりませんが、海の中では自由です。様々な青の中に自在に身を置くことができます。
ゲーテは色彩の本質を『光りの受苦である』と教えましたが、この宇宙で、時間さえその前では伸縮し,空間さえその元ではゆがむ、唯一絶対不変なるもの、【299,792,458m/s】(≒30万 Km/毎秒)という驚くべき絶対的なパワーを内に秘めた【光り】が、可憐な花の色一つにも身をやつします。
このような大きなものの御業の果てに生まれた美しい色彩に、身を包まれ、共に震えることは、人の心の癒しと喜び以外の何ものでしょう。
特に命に最も大切な水に係わる色、青にはその感を深くします。海の中では、まさにその青の素肌に、肌身を接して包まれるのです。
サンゴの花園やその花を愛でる蝶たちの乱舞、奇抜な発色のウミウシの行進、時には珍しい生きものを見に来たイルカ、空中に浮遊したとまでいわれる舞踏家・ニジンスキーもかくやと思わせる彼らのダンス。
瞬間あたり一面、海水まで凍りつく険悪な鮫や猛毒の生き物たち…。
エアーが残り少なくなればこれらに、そして何よりも海の神秘そのものに名残りを惜しみながら、はやる心にも美しい青の階調を明るい方へ、エアーの無数の輝く気球に手を引かれ、やがて光りが綾なし海水と戯れる我々の世界への出口、海面に出ます。
しかし、いったん日光が届かなくなる域では、この様相が劇的に一変し、身体が受ける圧力は4倍以上、酸素中毒や窒素酔いなど様々なディープダイブの危険にさらされます。
周り一面、永遠の沈黙をを教えるグレートブルー、吐いた息さえ水圧のため海水に溶けて小さな青いクラゲのように浮かび、無重力のような中性浮力のため上下左右の区別は全くつきません。
そして、地上では決して経験しない、精神状況を味わいます。海はすぐ隣にありながら、異次元を含んだ別世界なのですね。
このような場でエアーの残量に失敗するともうタイヘン!、一刻を争うのにどちらが海面か分らず、まさにその瞬間、死神の顔を見るのです。
身体を動かそうにも、水圧のため血液は頭蓋骨に守られた頭と肋骨に守られた心臓近辺にしかなく、手足がしびれ、金縛りにあったように動きません。
また、水圧のため笑気ガスでも吸ったかのように、多幸感の中に痛みも苦しみも恐怖さえも感じなくなります。
‘ああ、これで終わりかァ…’と思いながらも他人事のようで、目には身体が見えているのに、身体感覚を失うためか、まるで幽体離脱したように厳粛な静寂の中に時をなくします。
そして、そのまま微笑みながらディープブルーの奥深く沈んでいくことさえあるのです。
何度かこのような危機にあいながら、今ここにいるということは、そのつど助かったということで、我ながらしぶといなと思います(笑)。
今は、プルーストの‘マドレーヌ’のように潮の香りを思えば、過ぎゆきた人生の夏となる季節の全ての喜びが爆発し、生きる根底を支えるこの深い青に懐かしさがつのりますが、その時はせっぱ詰まっていました。
ところが、そんな死に直面した状況でありながら、人には実にふしぎな力があることに驚嘆します。
そして、やがて‘天使’を感じる瞬間がやってくるのです。
…‥‥・つ づ く・‥‥…