世に一番はかなきものにこそ、最高の誉れを
Mozart の美しい調べから生まれた露草色の明星は、私に初めて滅びざるもののあることを教えました。
今も、幼い私を訪れた時の輝きそのままに、おりおり心の天空を訪れてくれます。
限りある身に、限りなきものを宿す心の不思議に、つい答えに窮して「それが心の本能だから!」と申しましたが、果たして人類が共有する心の本能のようなものがあるのでしょうか。
もしあるとすれば、偉大です。それは人類史という大河の行く末にも係わるわけで、その瞳は遥か彼方に何を見つめて、私達をどこに導こうとしているのでしょうか。
この宇宙には、けなげな地球などアッという間もなく木っ端微塵にしてしまう巨大な破壊力を持つものは、隣近所にさえいっぱいあります。
太陽系の誰かがコトッとその位置や軌道を目に見えないぐらいに外しただけで、瞬時に地球上の全生命は全滅です。はかないですね!
しかし、世に一番はかなきものこそ、最高の誉れを与えられるべきものです。
それは全宇宙の一番大きな真実を、その身一つをもって証ししているからです。
美しい露草色の羽根と琥珀の身体にその身の3倍はあろうという優美にひらめく尾毛を持ち、大哲学者アリストテレスをしてそのはかなくも夢のような 美しさを感嘆せしめ、“エフェメロン”(はかなき天使)という称号を捧げさせたもの‘ Palingenia longicauda ’ (蜻蛉の最大の一種)。
それは “ティサ河の青い開花” と呼ばれ、初夏のある日、突然ハンガリーのティサ河の空や川面を延々と露草色に染め、幻のような青の大輪のゆらめく花と咲き、たった3時間の壮絶な生と死のドラマを演じます。
彼らは生きている間に、いちど羽化したものがふたたび蛹となり再ど羽化する二度の羽化をしなければなりません。そして、その大群は二波に別れて羽化します。なぜそんなことまでして?
一波目は一度しか羽化できず十分に飛べません。そのため、それをエサにするあまたの鳥や蛙や魚たちの格好のご馳走となるのです。
川面はその修羅の場に煮えくりかえり沸き立ちます。やがてその饗宴が終わり、川面が静まり、満腹した彼らが去った後、それを待っていたかのように ようやく、二度の羽化をする能力を持ち、飛ぶ羽根をもつことのできる本隊が出現し、わずかの生の時を熟知して、狂ったように交尾します。
彼らの目は、急ぐ羽化のため十分成長できず、雌の体色と同じもの、一枚の紙切れにも何十羽の雄が突進します。
しかし、このたった3時間のあるかなきかの生死の主は、人類史より遥かに永い時を地球に生きています。そしてその種を存続させるための、この悲劇的な叡智を身につけたのです。
それは、地球を破壊するほど強大な力が存在しながらも、それらはかなくか弱きものが、この一つ入れものの中に厳然と存在するという事実は、それらを守り育てる力があり、その力こそが破壊的な強大な力に勝ることを証するものです。
【強大処下 柔弱処上】といいますが、柔らかい水がついには山をも砕くように、あるか無きかのまるでエーテルのような柔らかく弱きものこそが揺るぎなく、また滅びざる事の証しです。
人類史が存続する限り不滅なるもの、人類史を貫いて人の心のなかに生き続けるものとすれば、それは【柔弱処上】なるもの、野卑なものを包むことのできる高貴なものであり、Tenderness(優しい)なものでなければならないでしょうね。
人がもし道なき森で自らの本性の中の不滅なるものを尋ねるとすれが、それはお心の中に一番 Tenderness(優しい)な薫りを放つものを訪れることだと思います。