地球、ガイヤの女神の美しい歌声!
美里ちゃん、
‘ドナウの宝石’といわれる古都、ブダペストでのコンサート無事終りましたか。
美里ちゃんは、イザとなると音楽の神様と直接コンタクトできる特別なルートを持ってるように思います。
音楽の神様ともっとコンタクトするためには、普段から、瞑想というのでもないですが、小鳩が天に昇っていくような感じで、心の中の美しいという感情の小道を旅してください。
その旅はどこへ私たちを導くのか雲の彼方のように思いますが、幾度も幾度も旅をしているうちに、いつか思いもかけず天上界と見まごうような光り輝く園をかいま見せてくれることでしょう。
限りあるこの身を生きる私たちが、限られない世界の輝きに触れられることもあるのです。
音楽は、その最も良き道しるべです。
ところで美里ちゃん、小さい頃、凸レンズでお日さまの光を集めて紙に火を付けたことないですか。
オリンピックの聖火は、ギリシャのアポロン神殿で、同じように採火します。
演奏するということは、実はこれと似ています。
見た目では、コンサートで演奏者と聴衆は相対しますが、目に見えない魂の次元では違います。
本当は、美里ちゃんの後ろには、同じく前を向いたたくさんの聴衆がおり、共に歌っているんですね。
それらの方の、魂の望みを託した数限りない歌が、美里ちゃんというレンズに焦点し、何ものも汚しも穢しも壊しもできないもの、【美】という不滅なるものに向かって旅立つのです。
レンズは透明なほど強く光を集めることができますね。
美里ちゃんはその意味ある旅に仕えるために、ご自分の身をなげうち、さらなる透き通るものになっていくことでしょう。
それが美里ちゃんの語る‘緊張する’ということの中身なのです。
でもそれは、孤独な旅ではありません。
【美】に向かう旅では、誰しも俗世の個から解き放たれて、大いなる旅人となるのですね。
それらあまたの魂と、共に手を取り旅立つのですから。
人の為すどんな小さな事も、宇宙の視野から見ると、とても大きな意味を妊みます。
実は、私たちの生命そのものも歌を歌っています。
その歌声は、地球外文明探査機‘ボイジャー’が、孤独な果てしもない宇宙への旅で、土星を過ぎるとき受信し、人類が初めて聞くことになった地球の歌声の中に含まれているのです。
壮大な天の川銀河を航行する地球自体の何ものも止めえない、ものすごいエネルギーを妊んだゴオー!という通奏底音に、地球が放電するピコピコというリズムが刻まれ、その五線譜の上をこの惑星に生きるありとあらゆる命が歌うメロディが流れていきます。
それは、同じ惑星でありながら土星や木星など他の星の声には決して聞くことのできないもの、生命があることを証すかのように、限りなくTenderness (優しい) で神秘的なのです。
ビッグバーンや、パルサーや超新星爆発の音には、人は不安と恐怖を感じます。
他の星々の無機質な音にも私たちは、生命の本能からNoといいます。
唯一このガイヤの女神の歌声にこそ、私たちを越えて私たちの中の生命そのものがYesというのですね、まるで“命とは歌うことなのだ”と私たちに教えんばかりに!
そうであるならば、私たちは大いに歌おう!
それは、更なる美しいものに地球の歌声を磨くだろう。
そして今、この地球の歌声は全宇宙の3分の1の途方もない彼方まで届き、更に伝わる。
その中には、きっとガイヤの女神の美しい歌声が聞こえる星もあまたあるでことでしょう。
今ここに私たちがあることは、翻ればこの生命を生むためにこそ、宇宙は137億年の時を懸けたのだとも云えます。
そして、因果律は、どんなに細い糸であろうと決して切ることはできないのですから、たちまちのうちに私とビッグバーンの絶対的な一点とを一直線に結びます。
この宇宙に存する全ての生命とこの始まりが結ばれた壮麗な無数の糸が互いに共振すれば、そこには
“ I’m here ” “ I’m glad yur’re there ”
という美しい虹色の光りが生まれることでしょう。
まるで、それを生み出した宇宙の意志を褒め称えるかのように!
美里ちゃんが、美しい透明な水晶の珠となって、送り届けんとするところは、人の心の中を遥かに超えて、このような物語が書かれていく場だとすれば、美里ちゃん!美里ちゃんが為すことは一身を捧げても悔いなき営みといえるのではないでしょうか。