今西 庄一
今西 庄一 / 中学校校長
富士の樹海で、何度か迷ったことがある。
一瞬、寒気が走り「迷った」と思ったとたん、美しい森は魔界のごとき様相を呈する。
樹海は闖入者には手に負えぬほどあまりにも広大であり、生死に関わる不安がこみ上げて、焦れば焦るほど不安はいや更に増す。
遠くから風に乗って聞こえてくる人の声が、この時ほどありがたく思えたことはない。
闇の中に光りが射す思いがした。
そして、これと同じ事が人生についても云える。
生の中で、人は様々に嘆き、悲しみ、彷徨うこともあるだろう。
しかし命である限り、命は人をそのままには終わらせない。
野の一輪の花に、大空を鳴き交わす小鳥の歌に、絶えることなき海の言葉や、神話を伝える朝な、夕なの時、はたまた芸術か、酒か、数えあげたら切りないが、人には慰められ救われるものが多々あるであろう。
しかし、人によってしか救われない嘆きも夜も、また確かに人は体験するのだ。
その時、人は人にとって闇を照らす光りとなる。
一度でもこの体験をすれば、私達は信じきることができる。
100人の中99人まで契りを結ぶ人に出会えなくとも、心交わすことのできる、まだ見ぬ最後の一人は必ず存在するのだと。
この信念は人の一生を貫き、人が生きる力の礎となる。
このように人は人を励まし、互いに温め合うことができるのだ。
残り少なくなった私の人生において、この方の大きな温かい手に包まれた時、私の心の中にこの灯が確かに灯った。
どれだけたくさんの幼い魂が、この方と出会い、人生の門出にこの灯を心に灯し、巣立っていったことだろう。
深謝!