オツキ ユキエ
オツキ ユキエ / 「宮沢賢治」朗読家
『宮沢賢治』この名前を前にして、私は常に言葉を失う。
ただ無言の祈りのようなものを、無窮の空に帰すことしかできない。
『永遠の未完成、これすなわち完成なり』
この慈雨降る天蓋の下、あまねくすべてのものの営みは慰められるであろう。
『永遠』というコスモスにこれほど馴染んだ人の言の葉を、私はほかに知らない。
オツキさんの「賢治」は雪の物語であれば、その香りにさえ包まれて、気がつけばもう私たちは雪原のまっただなかにいる。
このマジックは、オツキさんの賢治への敬愛の念が、心に収まりきれずに溢れに溢れて、浄化の涙となって支えているからだ。
清浄な冬の香りの世界、雪の香りさえ漂うオツキさんの賢治、場が時となり、時が場となる秘議の世界。時がこんなに豊かに満ちるとは。
オツキさんに会われた方はどなたもが思われる、「命の様が少女のようだ」と。でも、そこから紡ぎ出される世界はすごい。
去年もちょうど同じ時期に賢治の「ひかりの素足」を演じて頂きました。
それは百数十回、賢治の作品の朗読会を主催してきた私にも異次元の体験でした。
「ひかりの素足」は、賢治の童話の中でも非常に重たいお話で、しかも悲しい結末を持つ雪の中の物語です。 外には、まるで妖精の現れ出でそうな気配をたたえた月の光の中に、雪の冬木立の静けさがありました。 建物の中で聞かせて頂いていた私たちは、さあっと空気の気配が変わったとき、もう雪の中にいたのです。 雪の香りというか、清らかさというか、不思議なものに包まれて、私たちに体はなく、明るさだけが残りました。まるでマジック。
マージナリア・コンサート「賢治の世界ーオツキユキエ 朗読」(2003年1月25日)に寄せて。