時の森の秘められた花

スプ~ン博士の贈り物 Ⅱ

氷の華

一つの言葉に、懐かしい思い出や人との出会いが甦ることがあります。
クィーン・エリザベス号の船付き牧師として世界の海を股に掛け、大海の夜空を飾る千夜一夜の星辰を枕に、幾星霜の夢を数えた方の不思議な話しや目が点のお話しに時を忘れました。

‘プリマドンナ’にまつわる話しは、大英帝国の時代よりその伝統を誇る海軍将校クラブ‘サルーン・コリアス’で、このありふれた言葉に魔法がかかりました。

そこでは食べ物一つにも格式を守り、特に紅茶にはその薫りの中に華やかりし昔が甦るのか思い入れ深く、点てるのも日本の茶道と同じような作法があります。

ガラスポットの湯面に浮かぶ茶葉の層から、かけらがひとひら ひとひら舞いはじめ、やがて妖精が群れ舞うような群舞の中でとりわけ美しく舞うひとひらが’プリマドンナ’!、それが舞ったが時に、紅茶をカップに注ぐのだそうです。

茶葉をより美しく舞わせるためには、すべてをベストに、しかも無数に舞い落ちるどの葉の舞いが一番美しいと思うかや、その舞いが美の極みに達しているかの判断は、熟練を要し秘伝とされます。
なんだかハリー・ポッターの世界のようで、怪しく美しいですね。

皆様は、そんな小事が秘伝となるほどの大事かと、呆れられると思います。
しかし幾多の試練を経た強者が、一心にひとかけらのプリマドンナに見とれる様は、’真理は細部に宿る’との言葉を思い起こさせます。

神聖な球体の夜

しばし茶葉の舞いに見とれ、その果として いとも優雅な茶の香りに酔うとなれば、その一部始終は 人が自らの限りある命で購う一寸時を幽遠なるのと為し、その値打ちを増す術となるもなのでしょう。
ただ、それには見る人の美意識と人品が問われてしまうのです。

ところで、雪の舞い落ちる様を見るには、このような人品を計られるおそれはありません。それは舞い落ちるどの雪のひとひらもすべてプリマドンナだからです。
どのひとひらも人の何かのために舞うわけではなく、人の手の触れることのできぬ‘自ずから然り’という、始まりの一粒の光りに由来する必然性をその宿命として持っています。

この一分の隙も瑕疵もない有様は、人の美醜や優劣の判断を越えるものです。あるがままに、無心にそれを受け取るばかりであり、また見つめることは人を無心の佳境に誘うでしょう。

零下10度の月の夜には、世にまれな幻想的な光景が出現します。
雪は透明なダイヤモンドダストに結晶し、虹色に輝く無数のプリマドンナが舞い降り、足元には空から星塵をすくい取り、蒔いたかのような地の上の銀河! 人が火を付けてまわってでもいるかのように、あちらにもこちらにも、目をやる場はどこまでもダイヤの輝きに瞬きます。
そしてだんだん春が近づくと、雪は六つの枝を伸ばし見事な羊歯状六花を作り、憧れが舞いながら降りてくるワルツとなります。

「西岡さん、ホラッ!‘六花の結晶’になってるでしょう。」

お言葉は拡大鏡となって、ボンネットの上に消えてゆく美しい結晶を見せました。もしそのお言葉がなければ、私はこのありふれた雪の一粒一粒をいまさら見ることはなかったでしょう。たった一言が、時間の森の奥に秘められていた蕾を開き、心の中に花を咲かせてみせたのです。

大いなる意志

対流圏上層部で産まれた一粒の雪の種が、地まで届く永い長い時の糸を下降しながら、芽を出し双葉となり枝を伸ばし成長し、見まごうばかりに輝く大輪の花となります。ところが私たちの目の前で、せっかくこの人を驚かせる美しさも、儚く融けて一滴の水となりました。
しかし、水は決して羊歯状六花の美しさを惜しむ風には見えず、その一滴の水もまた美しいと私たちに思わせるのです。

人の手の届かぬ果てで為される、この物語の一部始終に思いを馳せれば、なんと壮麗なとの感に打たれます。
世界の隅々に至るまで、このような物語が数限りなく書かれ続けることが、時というものなら、この時の営みにより、いずれそれら全てが納められる宝箱に人も合わせて納められることを、その豊饒さ故に幸いとしなければ
との思いが、残り香のように心を満たしました。

こうして、私は、はたまた佐治先生の魔法にかかってしまったのです。

* ご自分だけの美しい雪の結晶を作ることが出来ます。*
その結晶が成長する時間がとても美しいです。
何かのロゴマークに使われても良いですね。

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