星のかけらから産まれました
光りのしずくは星となり、星は光り輝くプロセスで
万物の構成要素である元素たちを合成し
超新星爆発というかたちで終焉を迎えた時に
宇宙空間にばらまかれた星のかけらから
地球ができ、私たちも誕生しました
つまり、私たちは星のかけらから生まれたというわけです。
去りゆく冬のふとこぼれた なごりを惜しむ言葉でしょうか。
今日 風の中を舞う花びらのような雪が降りました。
一瞬、これが桜吹雪ならと思ってしまいました(笑)
昨年の“X’masレクチャー”は、誰もが、エッ!と驚く雪の中を佐治先生がおこしくださいました。
佐治先生は今、鈴鹿市にある大学の学長をなさっていらっしゃいます。鈴鹿市も40㎝の大雪、その中を遠路はるばるお越しくださったのです。
二月には、冬用の私の車でも走れない降りしきる雪の中を…、「出る前に、西岡さんに…、私の集大成のような本です」と最新作の『夢みる科学』(玉川大学出版)をお持ち下さいました。
それはとても愛らしい姿をした本でしたが、中をくるとびっくり、人智を網羅した世界地図を手に、驚きと発見の航海に船出するVoyager(ボイジャー:航海者)になった気がしました。
そして今日は、なごりおしい春の雪!、開くと美しい星空になる傘の忘れ物をとりに…、丹沢の山中に湧く清水を汲みにいらっしゃった帰り道です。往復、車で10時間!、先生の秘かな楽しみです。
春の雪に明るい食堂であれやこれやとお話ししました。‘星のかけら’のことや、あのボイジャー君のお話です。
45億年間腐食しないレコードに託した人類の魂をのせて ボイジャーは、遥かかなたの恒星系の惑星に住むと思われる地球外知的生命体と出会うため、この3月には太陽から約147億4000万km 離れた宇宙空間を航行しています。
このボイジャーの孤独な宇宙の旅は、思えば、いつしか私たちの心の旅に重なります。
私たちも心という計り知れない大海を、自らの憧れの星に導かれながら、いまだ未踏の領域にある 心そのものを納める事のできる、いわば母港を目指して航海するボイジャーのようなものなのでしょう。
ボイジャーは、たった二つのメッセージしか伝えるものを持ちません。
“ I’m here ”
(私はここにいます)
“ I’m glad YOU’re there ”
(あなたがそこにいてくれてよかった)
もし、私たちがあまたの銀河や星の輝く宝石の夜を航行しながらも、寂寥たる無生命の物理空間を何万年か旅をし、その旅の果てにはじめて生命に出会えたとすれば、いったい何を思うでしょう。
きっと、口をつくのはこの二つの言葉しかないのではないでしょうか。そして、目の前の ‘You’の中の大いなる’YOU’に、内包する生命そのものの存在の奇跡に、目を見張ることになるでしょう。
その時、 見つめ合うこと 感じること 思うことすら それを為すのは、もはや私でなく、人でさえなく、宇宙に普遍し 人類もその一分身である生命という様式のそのものの為せる偉大な技としか思えないことでしょう。
そして、この二つの言葉の相聞歌そのままに 互いに相手の母港となり、共感し、この共振の高まる波の波頭の向こうに、個別性を越えて 波打ち返り躍動する生命の大海原の輝きを眺望することになるのではないでしょうか。
さらに、生命の価値と意味をその輝きの中に、かいま見るのではないでしょうか。
‘星のかけら’という光りから由来するこの美しい言葉は、私たちに希望を与えます。
万物全てが 一なる血統に繋がり、全てが互いの縁に結ばれて、人たるも 一枚の布の一つの模様のように、決して生地から切り離しえるものでなく、むしろその上に咲く花であり、宇宙の孤児ではないのだと教えます。
昔、‘佐治ぐもり’は、先生の名物と聞きました(笑)。
満天輝く星の下、先生のお話が聞けると全員目を輝かしている内に、どこからか怪しげな雲が…、「あっ、先生がいらっしゃっる!」というのが定番なのでしょうか、雪にもつくづくご縁がおありです。
雪の日には 「アッ、先生がいらっしゃる」と、つい思ってしまいます。
これではまるで‘ 風の又三郎 ‘ですね。そして又三郎と同じく、不思議なことや美しいことが先生の周りでは次々と起こります。
小鳥の姿もちらほら見かけるようになった日に、思いもかけず世界を白く染めていく春の雪は、舞い降りてくる風花もことさらに美しく、ひとひらひとひらを目で追って、つい見とれてあきないですね。
そのひとひらに身を託せば、心の中にその美しい軌跡のあとが残ります。
万華鏡のミクロコスモスが、 瞬時思いもかけない世界を見せて人を驚かすように、外の落葉松林は雪化粧の白い光に包まれて、その森閑として汚れなき有様は、まるで日本書紀にいう、神霊 が人前に示現することなく永久に鎮まる“かくれのみや”(幽 宮) のようなものとなっていました。
これもひとえに佐治先生の魔法でしょうか。
そして手のひらに次々と舞い落ちて、ひやっとした挨拶を残しては消えてゆく雪に、‘プリマドンナ’という言葉が浮かびました。
…‥‥・つづく・‥‥…