朝露の一滴が世界を映す

世界の夜

今晩、またメルマガ書きました。
美里ちゃんのおっしゃるとおり、メルマガ書いてる時は僕は元気なんです。
それは、希望を作るために書いてるからです。
人は生きてても希望が心の中に燃えてなければ、生きてる実感が十分持てないですね。
これは年齢とか、人生経験の多少に関わりなく、この前にはどんなにエライといわれる人でも、誰もがいつでも初心者で、素手で手作りしなければなりません。
人は騙せてても、自分は騙せんから、自分という一番厳しい審判者に心底満足いくものを作らなければいけない。

2006 ECLIPUSE

僕にとって、書くことは海辺で砂山を築くようなものです。人が生きるための希望を作るために書くのですが、書けども書けども、波にさらわれ、砂山は崩れていきます。
でも、毎朝起きることができるように、めげずに書いていきたいと思います。
人が何を思おうが、僕たちの命が真実であることを止めないように、歩きつづけること自体が真実の実行なのだと心して。

光る星を人が美しいと思うなら、人も発光しなければいけないんですね。しかし、この真剣勝負をしなければ発光できないのです。
部屋に一つ灯をともせば明るくなるように、夜空の星が一つ増えて宇宙が少し明るくなるように、ちっちゃな人も輝いて少し空を明るくできるといいですね。

金環蝕の椰子

このように‘希望’の話しは、僕にとっては一大事なんですよ。
美里ちゃんの何倍か生きてますが、それでもそうなんです。
いまだに、人類の偉大なものに何一つ触れてない気が毎日します。
でも触れられてないことは悲観ではなく、朝露の一滴が世界を映すように、人は小さくても限りない可能性が目覚める明日にあると思って、希望のなかに夜まどろむのですね。

美里ちゃんのウィーンがメールに乗って、薫りのように僕を包みます。

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