いずみさんの青!Ⅱ

海に映る超新星

一瞬先から開く未来には、人をを導く、もう一人の私がいました。

それは、私の夢見るもの全て、私の感じる美しさの全て、そして私の願う希望の全てが生息する頭上の光輪のようにある世界でした。

この光輪は、いわば、虹のかなたに投げかけられたあしたです。
そしてそのあしたは、中学生の有里沙ちゃんに教えてもらった 「昨日亡くなった人が、必死に生きたかった明日です。」

その世界には、陰りのあるものは生きられないでしょう。
陰りあるものは生み出さず、生まれいずるもの無きものはいつかは消えざるをえないでしょう。

夢見るものも、美しきものも、希望も、人の中で生まれ続け、生み続けて止みません。
私たちが朝 目覚め、またあしたの朝を生み続けて止まないように!
そして、35億年という想像だにできない時を、生命が貫き通して今を生み出しえたのは、ひとえにこの生命の生み出すものという根源的な力によるのでしょう。

人を守るもの

ある意味では、人の生死はアッと驚くほどシンプルです。

私たちは夜 休みなれた暖かいお布団に横になると、自然になにか幸せな気持になり、知らぬうちに眠りに落ちます。
そして朝目覚めた時、もしそこが知らぬ場だと、いったいどれだけ寝たか分りません。
一瞬か、8時間か、1年か、一兆年か、永遠の一瞬手前といえども、さっき寝たのと同じです。

そして朝起きるから、生きています!

もし起きなければ、永遠に…! と、なると生きてないです

起きるのが、永遠の手前であれば生きてます

人を宇宙に置き換えれば、ここに永遠・無限の秘密が潜んでいそうに思えますね。

また、よく考えれば、私は決して死なないです。
私の死は、決して私は認識できないのですから。
人にとっては、この生、賢治の言う “ 有機交流電灯のひとつの青い照明 ”、 オンリーなのでしょうね。
永遠・無限の茫漠たる下地の上に浮き立ち、孤高の脈動を一点発光しています。

一点の山ホタル、寂寥を照らす’とは、まさにこの事を指すのだと思います。

天を見つめる瞳

一人の人に一つづつその頭上に輝く光輪は、目に見えない故に、まるでエーテルのようにはかなげに思えますが、かげろうでは決してありません。

なぜなら、それは人の命と同じく、宇宙の中でたった一つのそれも生きものであり、懐かしさや、愛おしさや、美しさのイッパイ詰まった王国です。

その方のご覧になったあまたの空や星々、手に触れた全ての花、歩きまた走ったであろう道々のすべて、またであった人々、他のでれでもない、その方だけの森羅万象の心象のたったひとつの生きものです。

そして全てのものは、このたった一つという、One が Only という宝冠をいただくと、かけがえのないものとして、新星と同じく輝きだし、宇宙の闇を払うのです。

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