‘ヴェサック祭’を訪れた彗星
13日の夜は‘ ヴェサック祭 ’の満月でした。
毎年5月の満月の日は、‘the Day of Vesak’ として、世界の全ての民族の不可欠な相互依存を認識し、全世界の円満で平和な共存のために、世界中の人が祈り、努力しましょうと、国連が提唱しています。
もとは、東南アジア各国のお釈迦様の、命への慈しみと平和への思いを祝する行事でしたが、今や世界中で何十億という人々が、同じ一つの満月を仰ぎ、一人一人命への思いを込めた小さな火を灯して祈ります。
これらの無数の人の輪が、美しいリボンの火となって地球を巡るのを誰が見ていることでしょう。
またこの日は、謎の彗星 ‘ シュヴァスマン・ヴァハマン第3彗星 ’が 、私たちの地球に最接近する日でもありました。
彗星は遥か昔、この地球に水をもたらし、命の種となるものをもたらしたとも云われています。
孤独な宇宙の航海者ですが、古代から人々の耳目を集めるのは、このような由来を人が感じるからでしょうか。
最近ですと、なんといっても衝撃的だったのは1997年の20世紀最大の彗星といわれた‘ヘ-ル・ボップ彗星’!
半年間、毎日見ているうちに胸の中に住み着いて、胸のうちが宇宙になって広がるような感じが残りました。
人が宇宙のなかに生きていることを、切実に感じさせられた日々でした。
4200年の彼方に去っていった時には、胸の中が虚しく寂しくなりました。
でも、今も彼が残してくれた胸の中のミクロコスモスは、私の中で息づいています。
昨年のマックホルツ彗星は、あの宇宙の王家の紋章のようなプレアデス(昴)を貫く、息をのむような美しい光景を見せてくれましたね。
昨晩、今回のSW3彗星を見るために、今年初めて富士山五合目にあがりました。
下界は、雨雲が一面に厚く、山中湖からでは見えなかったからです。
四合目あたりの一寸先も見えない雲海を抜けると、突如、雲一つない真っ正面に、煌々と照る満月を頭にいただき、白雪の輝く富士が、地軸が立つかのように眼前を覆いました。
その圧倒的な黒色のマッスの存在感に打たれんが為に、夜たびたび富士に登りますが、今年初めてということもあり、私を貫く気迫に呆然とたたずむうちに、命が新にされていくのを感じていました。
そして、この時期二週間ほどしか出現しない、落差1000mの世界一の幻の滝が、月光をあび、キラキラ輝きながら昇竜の天に帰る様に、富士は夜も眠らないのだと感嘆しました。
眼下には、赤児をくるんだ真綿のような一面の柔らかい見事な光りの海が、視野の果ての果てまでも広がっています。
いつも、満月の夜に、この場に一人立ち、雲海の果ての空の境を見ていると、この世界の広さ、高さ、そのあまりの大きさに、我を失います。
天上天下唯我独尊とは云いますが、それはもはや人指すのではなく、一人の人間の対者、この壮大な天地をこそ指すのだと思ってしまいました。
目の前の光りの海は、絶えずゆるやかに渦巻き、千切れまた結ばれ、天蓋に立ち昇りまた下り、そして流れゆき、また流れ来る…
千古にわたり澄み渡る天の瞳のもと、何を為さんとしているのか。
その時、私は後ろにたたずむものが、私を、また私の背ごしに眼前の世界を、共に見ていることを感じています。
天頂には最も美しい夏の主星、‘ ベ ガ ’が、壮大な銀河をしたがえ、ブリリアントな光りを掲げています。
このベガの心臓、M57:リング星雲 賢治童話のシグナルからシグナレスに天の結婚指輪として贈った、まさにこのリングを、いま彗星が貫いていきます。
このような類い希なる世界の一瞬を、かいま見ることができたとき、人の命の一瞬も類い希なる色に染め上げられるのではないでしょうか。
今そこに新生したとの思いに打たれることでしょう。