水素原子の遙かな旅 Ⅰ

皆さま、こんにちは。

いつも、日記やフォトアルバムに美しいコメントをくださって、ありがとうございます。
深い感謝の気持ちでいっぱいです。

それは、私の日記はいつも皆様との対話の中から次なるテーマが生まれてくるからです。
お一人お一人の文に触れお話しているうちに、皆様の深い思いに連れられて、思いもかけない未知の邦に旅立ちます。
魂が遠い彼方へ流れて、未熟ゆえとてもその場で収拾できずに旅の中でよく道を失いかけます。

町から村へ、村から野原へと思いを進めるうちに、人知れぬ荒れ地のその先でいつか道は途絶えます。
その先は小さき身ひとつには畏怖の念さえ覚える未踏の領域、人の思惑を遙かに超えた大きなものが自ずから然りと太古からの営みを為す聖域です。

しかし、呆然と立ちすくむなか、よく見ればかすかに人の踏み痕がその先へとさらに続くのです。
それは、生死の域をさえ超えるかのような勇気ある強い意志を感じさせます。
この先人の残した足跡に励まされて、さらに一歩踏み出したいといつも願います。
皆様との対話を糧に、これからも遙かな旅を続けた参りたいとと思います。

春の宵、ふと空を見上げてください、懐かしい北斗七星がご覧になれます。
その北斗七星の柄のカーブをそのまま右へ延ばしますと、春の主星:赤金の見事な輝きのうしかい座のアルクトゥールス、さらには乙女座の真珠星:スピカに至る《春の大曲線》をご覧になれます。

実はこのあたりは《宇宙の窓》と云われ、この天の川銀河外の宇宙のあまたの銀河が群れ立つ場所です。
望遠鏡を向けますと、その一つ一つはリルケの歌ったように『光りの道の向こうの端の白い都』そのままで、その目を見張る壮麗な光りの都を一つ一つ訪ね歩きたい衝動に駆られます。

最近、NASAの探査宇宙船や世界の大天文台の高性能な望遠鏡が目を見張るような精細な宇宙の姿を伝えてくれます。
どの一枚も火傷をしそうなその現場で、目のあたりに壮大な宇宙のドラマを見せられてる気になります。
私たちの心臓が一瞬たりとも鼓動を止めないように、大きな宇宙も一つの切実な生き物のように脈動しているのだと、胸が小さな子供のように熱くなります。

その熱に浮かされて是非たくさんの方に味わっていただきたいと、フォトアルバムに写真を載せますが、50文字以内の解説を書くのは、実はとても大変です。
身の丈を遙かに超えるものに思いを馳せねばならず、思いがさまよい結実しないのですが、そのおり皆様からいただくコメントにどれほど励まされることでしょう。
そして一歩進むことができます。

たくさんの星の姿を心に刻み夜空に星座を書けば、それらの輝く光りの海の潮騒が壮麗なシンフォニーを奏でているように聞こえてきます。

‘宇宙の美しいシンフォニー’、ほんとうにそうですね。
私たちはその演奏を最後まで聴くことはできませんが、この宇宙が終生を貫く秘めたる意志を持って何事かを成就せんとする思いを、この今の中に感じたいものです。

私たちは宇宙の中に居てとても小さいので、大きな宇宙の思いを知ることなどできないように思います。
でも、私たちの身体の中でそれぞれの細胞が、胃酸を出す細胞は胃酸を出し、肝臓の血を洗う細胞はそれを為し、みな己が役を為しながら、それらすべ てが集まれば人の歌うことが成るように、小さな私や星やこの宇宙のすべてのものが為すことを為せば、いつかはそれが思いもかけない美しいことを成就するこ とつながるのだと思いたいですね。

ところで、フォトアルバムの多くの写真は、この宇宙のとてつもない場を捉えたものです。
それらは、地球など一瞬のうちに破壊するような激烈なエネルギーが氾濫しています。

数千億個の太陽を瞬時に破壊したような超新星爆発、膨大な数の星々を巻き込んだ大銀河同士の激突、すべてを飲み込み融解するブラック-ホールなど、なぜおまえ達はそんなことをしているの?、っておもわず聞きたくなるほどです。
しかし、それらの写真を見ても、人は美しいと思ってしまいます、なぜなのでしょう…

この美しいという感動は、人が思う前に私たちの中の人知れぬ深い水底から湧き起こり、水泡が私たちの明るい意識の水面に水紋を描くように自ずと起こります。

それは、私の中にありながら私が作ったものでない命が自ずと生み出すもので、きっと命は私よりも自らと同じ生地で編まれた世界のことをより深く知っており、その由来に関わることに共鳴りし、その身を振るわせた熱が珠となり私の元に届けられるからなのでしょう。

私たちがここにいて、小鳥が歌い、花が咲く、これらが営まれる地球もその力を与える太陽も、その生まれる前にはあの激越な場を経なければなければなりませんでした。
野の花一つ咲く場の時の地層を深く訪ねれば、そこには壮大な宇宙の激動の営みがあり、野の花一つはその産みの成果なのだと云うことを教えるでしょう。

宇宙の137億年かけた進化の最先端、その矢の切っ先の今、私がこの文を書いています。
宇宙自身が人という宇宙を見、思うものを生み出したからには、その大河の流れ行く先をきっと私たちの命は知っているのでしょう。
そして、私たちの心に美しいという花を開いて、その花の香気の中に宇宙の意志を感じさせるのだと思います。
そして私たちはその香華の中に身を深め、ただ聞くばかりです。

流れるモーツァルトの幻想曲ニ短調…
モーツァルトはどの一小節を聞いても、聞いたとたん‘あっ、モーツァルト!’って、思わせられます。
ピアノのドの音一音にも、そう感じることがあります。

私たちは、宇宙が奏でるシンフォニーをすべて聴き終わることはできません。
しかし、今というドの音を聞いたとたん、その果てしなく広がる響きの中に自らがあることの真実と誇りに守られて、この宇宙への信頼の虹を永遠・無限の彼方に架けることができます。

それこそ、宮沢賢治が歌った『われら、まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう 』という宇宙へ、そして生み出された人間存在への讃歌であり、アヴェ・マリア です。

皆様に星を見る楽しみに触れていただけます、素晴らしいソフトをご紹介させていただきます。
どうぞお楽しみ下さい。

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