誰ひとり あなたから奪えないもの

希望の灯
あなたが生きてるかぎり けっしてなくならないものがある
命  だ

あなたが居るかぎり けっしていなくならないものがある
命  だ

あなたが立ち去るとき かならず共に去るものがある
命  だ

あなたがどこへ行こうと かならずつきそって行くもの
それはあなたがこの世から 外へ行くときだってそうだ
おお、だから勇気を持ちなさい

それはあなたが生きているかぎり
かならず生きようとするあなたをヘルプするものだ
そして死ぬときもー

おお、あなたの命は、先に立っていってくれるのだ
あの未知の国へー
なぜなら、命の方が、 あなたより勇気があるからだ

あなたという自意識が 命という無意識に手を引かれて
あの邦に行くのだ
なぜなら命はあの邦から来たのであり
あの邦をよく知っているからだ

おお、勇気をだして 両腕をひろげ抱きしめてごらん
その時あなたは知るだろう

命は愛のことだと

それは誰ひとり あなたから奪えないものだと

【 誰ひとり あなたから奪えないもの 】 加島 祥造

2007年3月3日 / 地球から見た皆既月食

詩について、さらに語ることほど、愚かなことはありません。
しかし、この人(詩)とは、もう人生の2/3をかけた永いお付き合いです。
そのなれそめを、お話しすることも許されるでしょう。

それは、命の火を灯しながら、その意味を深めるために書き続けていきたい 【 サハラ砂漠紀行 】 のある一章、 【 天使のお話し 】 の終章を飾る出来事でした。

ことは、この地球を奇蹟の星たらしめる、天地を巡る壮大な水の世界、そして生命のゆりかごとなる海の中でおこりました。
まさに海!、海水浴の浜辺から沖へ、海底が見えてるうちは人の世に属する海も、いったん底が抜けると異界の相貌を人に見せます。

しかも、人の魂を蠱惑してやまない‘GRAND BLEU’の支配する深海は、窒素酔いや酸素病など生死に関わる危険をはらんでいます。
そして、私も何度か赤道の海で、その危機に襲われました。

手足はしびれ、頭はもうろうとして意志を失い、自らを助ける術を全て失います。
ところが、この絶体絶命の危機にひんして、実に不思議な奇跡が起こるのです。

何も為せぬ私に、まるで天使が手をさしのべるかのように、私を越えて、私の中の命そのものがその叡智と意志で、己自らを救わんが為に、私の手を引き、光りの園、海面に導いたのです。

そのとき私は、あたりまえに享受しているこの命の、私が作りも知りもしない働きに、驚嘆しました。

私は、一人ではないのだ。
私と、命という二つの系が、私の中で分かちがたい契りを結んで、ここに私はあるのだと!

そして私は、命への畏敬の念を深めました。
私の中の命の光背となる、137億年の時をかけた途方もない営みが放つ光芒に!、
137億年一度たりとも消えたことのない、存在を存在たらしめようとする 【愛】 の炎に包まれていることに、心そこ打たれました。

そして私はこの地に来て以来、毎春ごとにこのことを私に教えた、朗らかな桃の花園におわします 【 香王観音 】 さまをお訪ねすることを楽しみにしているのです。

2007年3月3日 / 月から見た皆既日蝕

日本一の春の風景‘ 桃 源 郷 ’

もうすぐ、サクラの便りが各地から届く季節になりました。標高1000mの富士山麓の桜の季節は4月中旬です。
そこで、毎年待ちきれず一足先に春を楽しみに出かけています。

甲府盆地は日本一の桃の産地で、4月初旬盆地の端から端まで、視界を全て何十万本という桃の花が埋め尽くします。
純白に輝く南アルプス連峰や八ヶ岳の圧倒的な存在感と、麓を埋め尽くす春の喜びに沸き返る花の絨毯…。

“眼福”と云いますが、自然の壮麗な営みをこんなとてつもないスケールで見せられますと、もう“天晴れ!”という言葉いがい思いつきません。
よく“日本一の春の風景”といわれます。

この春爛漫を前にすると、身体が隅々まで晴れやかに笑っているように感じます。
私達は自然の体内から、芽生えるように生まれてきましたから、根付いている母胎が健やかであることを知ることは、心ばかりか身体の健康にも良いものなのでしょうね。
宮澤賢治の “ ほんとうのたべもの ” の ‘ ほんとうの ’という言葉をかみしめるような思いがします。

香王観音

桃の里の南山の中腹に、桃の花に包まれるように甲州真言七談林の一つ“福光園寺”という古刹が在ります。
この時期には、晴れやかな花の風情に引かれてか人が訪れ、往時のにぎわいを取り戻します。
そして桃の花の咲くように、秘仏とされる座像の“ 吉祥天女 ”仏と“ 香王観音 ”様がご開帳されるのです。

吉祥天女仏で座像は珍しく重要文化財に指定されています。
全高2mの堂々たる体躯で、見事な満開の蓮華座の上に威厳を誇り、まるで宇宙そのものを神格化したと云われる大日如来の風情です。

吉祥天座像

脇侍には、右に四天王の東の守護神、生きとし生けるもの全ての平安を守る“持国天”様。左には、北の守護神・六道を輪廻する全ての魂の苦しみ悲しみ、嘆きを受けとり、共に寄り添い歩むといわれる“毘沙門天(多聞天)”様が守護しています。

一分の無駄も隙もなく力に横溢し、まるで阿・吽の仁王のごとく立つ脇侍の法衣には、祈りを込めた“天”の字が護符のように書かれています。お目は当時はまず珍しい水晶に金を埋め込んだ象嵌です。

香の薫りを焚きしめたほの暗い闇の中、八百年の命を生きてなお、おぼろな蝋燭の光にも、カァッと両眼を見開き、虚空を凝視しています。

人がこんなまなこに凝視されれば、ただ脈打つ命の音に耳を傾けることしかできなくなるのではないでしょうか。
そして、いつしかそれが己の中に脈打つものか、はたまた仏の中に脈打つものに、共鳴りしているだけなのか分らなくなるのでしょう。
その場にひざまづき、その分らなくなる先のことをいつも思いました。

ラクシュミーの部分日蝕

吉祥天・ラクシュミーは、海の泡から蓮華を持って誕生し、後に毘沙門天の妃となり、功徳天として美と幸せの守護神となりました。
ボッティチェリの描いた有名な”ヴィーナスの誕生”そのままですね。

この吉祥天は、当時この地を治めていた三枝氏が圧倒的な甲斐源氏の前に滅亡を覚悟し、その後にも民の幸せなることを祈願して、都から当代一の大仏師・蓮慶を招き、作らせたものといわれています。

春にこの桃のお寺をお訪ねするたびに、この三枝氏の大願や、それに応えて遥か板東の地まで戦火の悲惨が渦巻く中を旅をした蓮慶仏師の心の有様を思わずにはいられません。

このお堂の横には、見落としてしまいそうな古びたちっちゃな観音堂があり、珍しいイカリ草の花を脇侍に、お目当ての“ 香王(こうおう) 観音 ”様がいらっしゃいます。
奈良時代の大僧正・行基(668年~749年)の作と伝えられています。

行基は、国に奉仕する仏教にあきたらず“広く民衆を救う”という仏教本来の姿を取り戻すため、町へ出て民衆に教えを説いたり、旅人の行き倒れを助けたり、道や池、溝、港、布施屋などの社会事業施設を造り、四九ものお寺や、最後には東大寺建立にも係わりました。
民衆の絶大な信仰を集め‘行基菩薩’とさえ呼ばれた方です。

お寺は、何度も戦火に遭い、そのつど観音様も炎に包まれました。
燃える観音様を村人が運び出し井戸に入れ、百年にわたり村人はその秘密を守り、‘ 龍神様への雨乞いの祈りだ ’と言い訳しながら井戸に向かってお祈りしたそうです。

燃えたお顔は元の姿を留めず、眉や鼻や口元が黒く焼け焦げています。
しかし、驚くことにその焼け焦げそのものが、そのまま見事なお顔になっているのです。
それは、本当に一点の曇りもない、このうえなくにこやかなお顔です。

‘行基菩薩’が、【 一切衆生 悉有仏性 】の思いを込めて創り上げた慈悲仏は、炎や千数百年の風雪にもその祈りの力を失わず、私達の心を深く慰め癒してくれます。
建立当時から末永くお堂を満たしていたと云われる白檀の残り香につつまれる思いです。

4月7日(夜)【星見の会】 / 8日(朝)【桃源郷を訪ねて】

美しい春の星の世界とこの‘桃源郷’に、皆様をご案内させていただきます。

4月中旬から下旬には、富士登山道一合目:中の茶屋:の広大な唐松林に咲く、2万本といわれる‘フジザクラの森’をご案内します。

 ゚・*:.。. * .。.:*・゜
このはなさくや姫に捧げるコンサート

A Celebration of Love
Mandala Meditation and Music

Mandala Artist : Kaho and Singer/Songwriter : Sam Vittoria

4月21日夜 【曼荼羅 & Music】 ・ 22日朝 【フジザクラの森を訪ねて】

桃源郷

アメリカ在住で、世界選手権に2回も出場した名フィギアスケーターの鯉沼香帆さんは、ある時 インスピレーションを受け、 曼荼羅を画くようになり、今その作品はアメリカでたいへん話題になっています。

香帆さんは曼荼羅を、無数の点描で描きますが、一心に点を打つその作画は、 チベットのラマ僧が、仏に捧げる曼荼羅絵を色砂で画いていくのと同じく、無垢なるものを感じさせます。
巫女が無心に舞ううちに、入神の境に至るかのような営みでしょうか。

今回、富士山のエネルギーを感じながら曼荼羅を描きたいという香帆さんの願いで、素晴しいコスミックな愛を歌うサム・ヴィクトリアさんの歌とギターの演奏と、香帆さんの曼荼羅展示と作画の見事なコラボレーションの会を催します。

富士山は、もとは【 不 二 山 】と書きました。
この不二は、【二つにあらず】と読み、分かち得ないもの、いわば‘色即是空’‘空即是色’を意味し、人においては‘梵我一如’の境地を指すものと云われています。

確かに、富士山の荘厳な気迫に打たれれば、誰しもそのようなものを予感してしまうのではないでしょうか。

曼荼羅を描きながら、富士山のエネルギーと通底していく香帆さんの中に高まるものが、きっと私達を、天のものと地のものがその中を自由に行き交うかのような、富士の創造の坩堝のなかに、導くことでしょう。

よく22日には、朝食後、聖地フジザクラの森におわします、富士山のご神体 ‘ このはなさくや姫 ’ さまを、お訪ねする花見の会を催します。

翡翠の雲とたなびく新緑の落葉松林を、行けども行けども花霞で埋め尽くす、‘このはなさくや姫’の化身とされるフジザクラの美しさは圧巻です。

楽しみになさって下さいませ。
        
ご宿泊+コンサート ¥11,500 です。

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