託された生命の真実が謳う曙の歌を!

ダイヤモンド富士

今年は山中湖も記録的な暖冬で、厳冬期のはずの2月ですのに雪が全くありません。

おかげで雪かきの苦労がなく助かるのですが、あの神秘的な美しさに心うたれる雪の落葉松林の“かくれのみや”(幽 宮) も、冬の風物詩の凍結した湖上の公魚釣りも、スケートもなく、ありがたくも、心さびしい冬となりました。

でも、相変わらず富士だけはその美しさに変わりなく、いま有名な【ダイヤモンド富士】が、実に見事です。

ダイヤモンド富士

毎日、富士山頂に黄金の光りを放ちながら落ちる夕日の美しさを堪能し、夕刻のノスタルジックな静まり行く時を楽しみます。

私が冬眠中にも、たくさんの皆様にこの場を訪れていただきまして、本当に感謝しています。
今回の日記は、‘いっきょに春が~’(笑)みたいな勢いで、3回分をひとまとめにしてしまいました。

ゴメンナサイ、皆様とまたお話しできる喜びに、つい気が焦ってしまいました。

ダイヤモンド富士

一日のお疲れを癒す夜にお読みいただくには、相応しくない、ちょっと重たい内容と長さです。
どうぞ、適当なところで、次の日に回してください。

しかし、今回書かせていただきましたことは、今たくさんの皆様にお伝えしたい事柄でした。
その訳は、コメント下さいました、ドリーマ様やmorning 様のお返事にも書かせていただいております。
本文ともにお目を通してくださいましたら、幸甚に存じます。

私にとって、とても大切な事柄ですので、想いを深め、何かを為せるためにも、今しばらくこのまま毎日書き足していきたいと存じます。

我が儘を申しますが、よろしければ、折々におつき合い下されば、本当に嬉しく存じます。
この場で、みな様と再会を喜び合えますことが、とても楽しみで嬉しいです。

西岡 範男 拝


牀前(しょうぜん) 月光を看る

疑うらくは 是(これ)地上の霜かと

頭(こうべ)を挙げて 山月を望み

頭を低(た)れて 故郷を思う

この有名な李白の詩を、私は人生の折々に思い返し、愛しました。
限りない夜の中に身を横たえて、

頭(こうべ)を挙げては、’わが助け、いづくよりきたるや’と、山月を望み

頭を低(た)れては、 宇宙(そら)のかなたの故郷に思いを馳せる。

2007年2月5日 / この半世紀最大のマックナート彗星

幼い頃、父が西条八十に書斎で聞かせてもらった感動が忘れられず、何かといっては宝物のようにかけていた、シェーンベルクの‘浄められた夜’が、年端もゆかない心にしみて、いつの間にか夜の中に夢見ることを覚えました。

戦後間もない焼け野原の東京で、今もある有斐閣という出版社に努めていた父は、何かの折りに西条八十と知り合い、その書斎に招かれたのでしょう。

私も、矢内原伊作、宇佐見英治、加島祥造といった恩師達の書斎を訪れた折に体験したことでした。
ドア一枚開けた途端、その天空に広がるコスモスの濃密な気配に圧倒され、この世のどこを捜しても見つけられなかった、精神の自由と夢見る力の息づく秘密の園を、かいま見たように思いました。

使いこなされた机や椅子、書きかけの原稿やちっちゃなオブジェ、書棚のほこりさえ気を放ち、叩けばたちまち梶井基次郎の‘檸檬’のように、途方もない主人の世界を物語りはじめそうでした。

そんな中で、‘浄められた夜’が鳴ったとすれば、若い父が何を感じたかは想像に難くありません。
それは、人が一生に一度だけ聞くという聖なる神託の言葉を、いま確かに聞いたと云うほどの衝撃を、父に与えたことでしょう。
まだ生活もままならない焼け野原の街で、その灯は父を支え、以後終生にわたり、父の心の中に灯り続けました。

‘浄められた夜’の鳴る夜は、父は世界にたった一人そこにいるようで近寄りがたく、幼心にも夜は神聖なものを人に与える特別なものなのだと、夜への畏敬の念を深めました。

夜という泉から、静寂(しじま)が紗を引くような美しい水紋を描きながら、馨しい吐息を吹きかけ人の身を溶かすころ、底光りする漆黒のそら(宇宙)が、人の世を覆い始める。

透けて見える薄いヴェール一枚をその身にまとい、地球の夜の中に街の灯が、切なげな地図を描いてゆく。

あのちっぽけな街の灯の一つに、夜の私は棲息する。

その熟れた夜の繭の中で、人が一人孤独になるとき、夜が心許せる友とばかりに寄り添ってくる。
夜を過ごす自分には、もう昼の名はいらない。

夢の発動機のような夜のなかでは、服を脱ぐかのように名のくびきを解き、ただ夢見ることだけでいい。
そのイカルスの翼をさらに羽ばたかせることこそ、真に力強く生きるということだ。

このただ命だけでいられることの自由!
そのあまやかな、生まれたての自由の香りに包まれる幸せ!

絶えることなく寄せ返す潮騒のように、人々に過ごされた様々な夜に思いをはせる。

人間‥ 都市‥ 歳月‥ 、
人々の喜びや悲しみ、憂愁や苦悩、祈りや歌声、酒や香水や薔薇の香り…
それらあまたの夜を星となし、天上に輝かしめよ。

若かりしころ、ただ脈うつ命でしかない自分という荷物を一つ鞄に入れて、この夜の夢の中に旅をした。
夜という繭のなかの数えきれない愛おしい夢見られたミクロコスモス…、

繭に包まれた蛹の中では、脳と心臓の他全てが溶け、その神秘の液体の中からあの輝く鱗粉や美しい触覚が生まれる。

夜の繭の中で、時の手により変容した、あの夢見られたもの達は、いまや羽化し天空に向けて飛び立つ。

New York の Alcione さんとお話して以来、静かな冬の夜には暖炉に火を入れ、昔々に熱愛したJAZZの名盤を聴いています。

Alcione さんの愛した 【Bill Evans / MY FOOLISH HEART 】 とともに、
すみれ色がかったピンク地に姪のデビーの横顔の黒のシルエットが浮かぶ 【 Bill Evans / Waltz For Debby 】の40年もの時を経たレコードが、色あせもせずありました。

懐かしいジャケットを開けたとたん、もうそこには世界が未来を生みださんがために燃えた、あのカオスの熱を妊んだ時代が、僕が愛したものたちと共に哀切に甦ります。

パッションを内に秘めたリリカルなピアノの背後に、グラスのあたる音や客の話し声、女の嬌声やキャッシャーの音が聞こえる…

New York 【 Village Vanguard 】 の赤い二枚扉一つなかでは、バーボンや葉巻や女神の蠱惑の薫りが渦巻き、
浮きたつルージュや男の焦げた体臭の間を飛び交う Slang や Lave のざわめき、
まとわりつき、宙に浮き、交わされ、また終止符に倒れるあまたの視線、

それら全ての熱気や生気がJAZZの坩堝にさらなる熱を帯び、打ち鳴らす拍手や床音とともに昇りつめていく…
そして、幾多の詩を生みおとす。

【 Village Vanguard 】 は、生々しい体温をその素肌に感じさせる生きものとなり、そこに脈打っている。
あの時、この生きものは世界を、時代を変える一つの発火点、Hot Spot でありました。

歴史の中には、地下水脈として流れる人類史を導く意志が、昂然と地表にほとばしり出る特異な時代があります。

人々の魂にも、時代がその影を落とし、支流がいつかは一つ大河に注ぎ込むように、一つの流れに人々の人生が収斂していく時代があります。

そして、そのような時代は、往々にしてヒーローを生み、自由の女神の如く人々を鼓舞します。

1957年9月4日 黒人女学生 ドロシー・カウンツは、人種差別に抗議し、投石に傷を負いながらも、勇気を持って【人間の尊厳】を守るために白人校に入学する。

世界の人権運動の共有財産とまで言われるローザ・パークスを発火点に出発した、ごくごくあたりまえのことを主張した公民権運動は、このドロシーの ちっちゃな勇気を起爆剤に、ついには、キング牧師の有名な“I Have a Dream”(私には夢がある)の演説に率いられる25万人のワシントン大行進に結実した。

ハンガリー動乱や、天安門事件で、群がる戦車の前に一人立ち、命をもってその群れを制止した若者は、もはや一人の人でなく、あまたの魂を燃やすパッションが焦点し、その一身を借りた姿に他なりませんでした。

あの時代、この未来を生みださんとするパッションは、燎原の火の如く世界を覆い、狼炎の火が互いに呼び交わす歌声のように世界を照らすのでした。
むしろ、時代こそが己が身をその火に捧げたのです。

1989年6月4日 / 天安門広場 たった一人の青年が、戦車群を止める

そして、その火は人のみならず、一冊の本に、一曲の音楽に、一巻の映画に、更には一つの場にさえ焦点したのです。
当時、人々の先鋭的な思いを託した芸術が、諸共にかがり火となり、時代を引っ張っていました。
いつの時代も、芸術はその潮(うしお)の大きなうねりの波頭となったのです。

そして、映画やJAZZは、まさにそのうねりの前衛となり、 【 Village Vanguard 】 は、コップの中の嵐のようなバリケードの中でも、神話の場と化していました。

【 Bluenote 】の旗手、Miles Davisの白銀の槍が宙を切り裂いていく…、
トランペットが人の脈動を高く低く自在に操り、人の自由意志の化身とかして未知の領域へのアバンチュ-ルを疾走する。

「 ラウンド・アバウト・ミッドナイト 」  「 マイルストーンズ 」  「 カインド・オブ・ブルー 」   「 スケッチ・オブ・スペイ ン」 …、ずうっとマイルスを聞き続けていました。

ルイ・マルの「死刑台のエレベーター」のマイルス・デイヴィスは、映画を更に越えてその時代を生き、歴史の一こまとなる多くの若者の魂の叫びを写していました。

若いヴィヴィッドな感性に任せて、当時どれだけたくさんの、時代の熱を映した映画を愛したことでしょう。

アラン・レネの 「去年マリエンバードで 」 を筆頭に、ゴダールの 「 気狂いピエロ 」 や トリフォーの 「 突然炎の如く 」 、ビクトル・エリセの 「 ミツバチのささやき 」 、また ベルイマンの 「 第七の封印 」 や タルコフスキーの 「 惑星ソラリス 」 、ルキノ・ヴィスコンティ の「 山猫 」 、アンゲロプロスの 「 旅芸人の記録 」 、アンジェイ・ワイダの 「 灰とダイヤモンド 」 、アントニオー二の 「 情事 」 、フェリーニの 「 8 1/2 」… etc. …

まさに映画の黄金の時代、天空にあまたの星がきらめき、その数々の名シーンは、のちに私の折々の人生を色づけました。

1957年 / 黒人女学生ドロシー 投石を持って入学を迎えられる。 

この私の夏の季節に燃えた火は、大地の上を季節が巡るかのように、また時代という生きものが吐く息と吸う息を変えたかのように、年月のうちに、もう自分でも気付かないほど深い地下水脈となり、やがて静まりました。

そして、頭の上はるか成層圏を、ただあの‘疾走する悲しみ’ K.550 が、その熱をすくい取り、エーテルの如くすべてを包んで流れるばかりです。

しかし、いつか時は満ちる。

時代が人の魂に仮託した熱は、地下水流となれど絶えることなく、やがて断層の裂け目を穿ち、大地の上にほとばしるだろう。
そして、あの熱を妊む時代が、再びも三度も、いや幾たびでも甦るだろう。

小賢しく愚かな盲目の衝動に突き動かされる政治も、古代の賢者が教えたように徳の司る政治に、何世紀を経ようが、いつかは必ず替る。
替わらざれば、人類は地球に存し得ないのだから!

人は兄弟姉妹として共に生きていく術を学ばなければならない。

さもなくば、私たちは愚か者として滅びるだろう

マーサー・ルーティン・キング牧師

そしていまも、あまたの人の中にその血脈が生き続けているのを証すかのように、ヒーローはあらゆる地に生まれ続けている。

2006年10月2日、ペンシルバニア州‘パラダイス’で、ランプと井戸と馬車で農業を営み、信仰に生きるアーミッシュの村の小学校に、銃で武装した男が侵入し、教室内に監禁した女子児童に銃をむけた。

その時、13歳のマリアン・フィッシャーは、年下の子ども達をかばい、男に真っ直ぐ目を向けて『 私を撃って!、ちっちゃな子は助けて 』と頼み、額を撃たれ、瞳を閉じた。

男は引き金を引く瞬間、恐れもなく澄みきったマリアンの深い瞳に見つめられた。

この二人の、時が失われた一瞬を、なにものが描くことができるだろう。
永遠・無限を、人の身で見ることができないのと同じく。

しかし、世界中でたった一人その男だけは見たであろう。
そこに男が見たものは、もはや人の瞳でをこえたものでした。
マリアンの床に倒れる音は、男の業が崩れる叫びでもあった。

そして、マリアンは遺族の夢の中によみがえる。
人の業を去り、透きとおる珠のような男の魂が、マリアンに手を引かれて天に帰るのを。

マリアンの遺族は、葬儀に男の妻を招き「私達は、あなたをなぐさめます。」と、ハグをした。

私は、このちっちゃな 聖マリア を決して忘れない。
そして私は思い起こす、私の心の中の十字架となった、あのアウシュビッツの一枚の写真を…。

ナチのSS将校が、今まさに引き金を弾かんと、胸に赤ん坊を抱いたやせた女の背をねらう。
しかし、違うのだ、彼がねらったのは、効率のため一発で二人を貫ける赤ん坊であった。

女は赤ちゃんがねらわれたとたん、本能において反射的に子をかばい背を向けたのです。

私は人の中に自ずから備わる、この魂の本能の正しさ美しさを信じます。
それは、人一代では決してできない。

命の本能が、何万世代を鍛えられ伝えられてきたように、魂の本能も、想像だにできない時の中を、幾多の厳しい試練をくぐりながら、手の中に珠を慈しむように育てられてきたものです。

その魂の本能が、私という役を演じる命を、常に静かに見つめています。
そして、何万世代という人々の熱い思いを積み重ね積み重ねした確かな力によって、人を導くのだと思うのです。

たしかに、今この瞬間にも、宇宙の中で最も美しい、最高に有意味な星の上で、人間の尊厳を虐殺する悲惨な出来事が世界各地で起こっています。
そして咎なき無垢な子供や女性、社会的弱者を餌食にします。

今、世界40ヶ国で30万人の子どもが、無理強いに兵士に狩り出されてもいるのです。
この美しい花が咲き、朗らかな鳥の歌声がひびく宇宙の最も美しい星・地球の上で、そんなバカげた事が為されて良いのか!

果たしてこの地の上に流された血と涙は大海に比するほど地を埋め尽くすのでしょうか。
どうしてもそばにいてほしい人を、奪われた人々の嘆きの歌が、この空を覆い尽くすのでしょうか。

*+:。☆。:+*
僕が君を捜すのには理由がある

きみに会って声を聞き、話しをしたいから

きみを待つのには理由がある

世界中でぼくが愛するのはきみ一人だから

ぼくには理由が、理由がありすぎる

風にきみを返してと願う理由が

きみを忘れたくない理由がある

きみがしあわせの味を教えてくれたんだ

きみの香り、きみのいない家は崩れてしまう

(イノセント・ボイス)

中米・エルサドバドル内戦の世界でも類を見ない悲劇の中で11歳の少年が歌った愛の歌

無差別砲撃で跡形もなく飛び散った少女が、さっき会ってた時に着ていたスカートの端切れを胸に謳った歌です。

*+:。☆。:+*

ウガンダ、ソマリア、エルサルバドル、コソボ、スーダン、レバノン、イラク、パレスチナ、… の空にこだましたこの嘆きの歌が、これからも世界に絶えることはないのでしょうか。

しかし私は、世界はそれらの虚無に屈するほど、愚かではなく、世界に熱い歌声が響き合うあけぼのがきっと来ると信じます。

なぜなら、この赤い服の子のちっちゃな手一つさえ、私たちの身を振るわせ、魂の本能を奮い立たせもするからです。
その熱は水紋が広がるように、時をも越えて人々の水面(みなも)を伝わりつづけるでしょう。
そして、人の心の中に生まれたひとしずくのエモーションが集まり集まり、やがて大きな潮を生み出すと思うのです。。

この命を咎なく奪われる赤い服の子の、写真で切れてる手の持ち主を見ることができれば、私達はまさしくそこに誰が立っているのを、見ることになるのでしょうか。

本当にごく平凡な言葉ですが、“曙の訪れぬ夜はない”と言います。
これはこの地の上に、何十億年と果たされてきた真実です。
そしてこれは、私達の生命についてもおなじ事が言えます。

夜は、私達に夢見ることを教え、優しい休息を与えます。
そして眠るわけですが、朝(あした)のなかに目覚めるから生きてるのであって、起きなければ生きていません(笑)
あたりまえのことで、真実です。

ところで、社会の闇、人の心の闇も、おなじ事が言えるのではないでしょうか。
闇の中から出なければ、社会も人の心も生きていないのと同じです。
私達が生きて、生きることを望む限り、そこから出なければならないでしょう。

今私達が生きてる場が闇に覆われていなくとも、この同じ地の上に闇が存在するのなら、その闇を堰き止め、その闇を晴らすべく努めることは、私達の生命の本能のように思うのです。

私達はきっとそれを為します。
それが本能に添うことであり、自然で、私達よりも深く、命そのものが自ずから喜べることだから!

人に託された生命の真実が謳うあけぼのの歌を、この子達と共に謳えることを、浄められた夜に切に祈ります。

Neutrino さん、ミッシェルさんのコミュにもご参加下さって、ありがとうございました。

『 不遜にもできないことを悔いず、少しでも世の中で起こっている現実に関心をもち、できることを少しでも高めていきたいと思うのが精一杯です。 』

まさにおっしゃられ通りだと、私も同じことで精一杯です。
世界の全ての悲惨に係わることなどとうていできませんし、数えあげることさえ不可能です。

ただ、今の世界は全てがグローバル化し、網の目のように因果関係がネットワークを組んでいます。
地球の裏側の小さな出来事でも、その因果関係を追えば、この日本の、そして私達の生活の場にさえ係わってくることもありますね。

ホントに、『 風が吹けば桶屋が儲かる 』 式どころか 『 中国で一匹の蝶が飛べば、バミューダ海域にハリケーンが起こる 』 式のことが、文明・技術の進化により、世界を覆う通信網、運輸網などの発達で、現実に起こる時代です。

私が食卓で、白身魚のフライを食べれば、アフリカのビクトリア湖畔の村のエイズ患者を一人増やす。
私が、北欧のナチュラルな白木の食卓で、清潔な白くさらされた麻のナプキンを使えば、インドで若者の肺気腫の患者を一人増やす。
そんなこと考えも及びませんが、事実はそうです。

先進国と発達途上国の関係は、ある意味、国際援助のきれいな包装の下で、冷徹なエゴイズムの計算が働いて、不正が隠されていることが、途上国の悲惨を招く原因であることが往々にしてあります。

世界の政治や経済を動かすトップの腹黒い頭のねじが一つ廻ると、遠く離れた途上国の万単位の罪科のないつつましい庶民の生活の上に、悲惨な運命を引き起こすシステムの巨大な歯車が、不気味な音を立てて回り出すのだろうと思うのです。

中米のエルサドバドルで起きた残酷な内戦は、たった14家族が貯めた、つつましい庶民から収奪した富を守るために起こり、7万人かの子供の命が失われました。
このように巧妙に隠されながらもあからさまな、世界に存在する不正が許せないのです。

私たちが、その巨大な暴力的なシステムを持つ不正に反してできることは小さいですが、世界の善意で生きる庶民は圧倒的な大多数です。

その庶民を結ぶ、全地球を網羅するネットワークが、互いに手を結び、その暖かさを伝え合うような手作りで、時を掛けて結ばれて、その結び目が一つ一つ結ばれる毎に、歌の花が咲く、そんな暖かい着物でこの地球を包んであげたいのです。

それは、まるであの天空にあるといわれる美しい響きを放つ “ インドラの網 ” を地に写したような!
そんな正義に基づく明るさのある世界を子ども達に遺してやりたいですよね。

そして、『 さあ、でも暗くならず明るく娘たちと遊ぼうか(^^)v 』 と、心から言いたい。

チャイルドドクター
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ミッドフィールド ミッシェル 『世界の肖像』
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