この場を訪れてくださいました皆様へ!

この場を訪れてくださいました皆様へ
【世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない】

いつもこの場を訪れてくださいまして、誠にありがとうございます。
拙文の日記にもかかわらず、温かいお心で受け止めてくださり、素晴らしいコメントを数々寄せてくださいますこと、本当にありがたく存じております。

その一つ一つがどれほど私の心をうち、私の生きる糧となりますことでしょう。
心より、深く御礼申し上げております。

ところで、私の日記には身辺雑記はないのですが、それは次のような願いをこめて、書かせていただきたく思うからです。

私は、過去にサハラや海の旅の中で、生死の際を奇跡的に助かるような経験を幾たびかしました。
それ以来、毎日を、

“今日という日は、昨日亡くなった人が、必死に生きたかった‘明日’なのだ。”

と思わざるを得なくなりました。

そして、今日という日がそのようなものであるのなら、その方々の切なる願いを託された今日を、その尊い願いにふさわしく、晴れやかなものに私の中で花開かせたいと願うようになりました。

しかし、この花は私の中に咲くのみならず、全ての方の日々の中に咲く花です。
そうであるなら、一期一会の思いを込めて、出会う方の命と魂が健やかに花咲かれんことを祈り、互いにエールをまじあわせたく存じます。

世界には、あまたの川があり、その名も流れ方もみな違いますが、全ての川はやがて一つ大海に注ぎます。
そしてまた、川といい、海といい、その有り様は違っても、全てはつながり,大いなるひとつの水です。

私は自らの中に脈動する命について、一しずくの水でありながらも、その水の本性は全ての人に分け隔てなく与えられている、おおいなる水そのものなのだという想いがいつもします。

ですから、私の中の水が元気になることは、大いなる水そのものが元気になることだと思うのです。

私が書くことは、私の中の大いなる水が元気になってもらえるために書いています。
それと共に、自分が元気になれたのだから、読んでくださる皆さまの中のおおいなる水にも、その元気を少しでもシンパシーさせていただきたいと願います。

共に同じ一つ水だから…

ところが、悲しいことに、今その大いなる水が‘癌’に冒されようとしています。

アフリカや中近東をはじめ世界中で、無垢の人々が理不尽に殺され、その命が辱められています。
平和の中にいる私たちたちには想像すらできない、生命と人間性に対する陵辱が傲然と為されています。
また、更に大規模にこの地球の生命に対する野蛮が、平然と文明の名の欺瞞のもと断行されています。

尊敬する【ミッドフィールド ミッシェルさまの日記】を是非ご覧下さい。

これらを見聞きするたびに、自らも無関心と無行動において、それに暗々裏に加担してるのだと思うと、暗鬱たる気持を晴らすことができません。

人類は、人類史100万年を戦争に明け暮れたとすれば、果たしてあと何世代・何十世代経れば、地球上から大いなる水を辱める戦争と故なき貧困をなくす事ができるのか?
人類という種の存在意義にも係わるこの闇が、人類史の上を覆い尽くすのかとも悲嘆してしまいます。

ところで、もし私たちが人類史の未来に、この闇を払い希望を持つことができるとすれば、宮沢賢治が語った厳然たる大テーゼ

   【世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない】

このポラリス(北極星)へ向けて歩むことしかあり得ないでしょう。

なぜなら、戦争や故なき貧困の存在する世界を生きる人には、人間性への全き誇りを持つことができません。
私達の生を通底する人間性への疑念は、個の命をも辱めます。

もし私たちが、人類史の未来への一点の瑕疵もない希望、すなわち【世界全体が幸福になる】という希望をを失えば、私たちの中のひとしずくの水は、その愛する母港、大いなる水への道を失うことになるでしょう。

母港を失えば、一滴の水はその本性を喪失し‘さまよえるオランダ人’のごとくなるのではないでしょうか。

しかし、これらの思いに心を暗くしているおりにも、私の心の奥底から、おのずから立ち昇りくる歌が聴えてくるのを知ります。
あの人類の至宝といわれるマタイ受難曲を、ロ短調ミサ曲を、そしてモーツァルトのレクイエムを!

どれだけ悪臭を放つどぶ川であろうが、H2O!ひとしずくの水の分子を、決して陵辱すことはできません。
ひとしずくの水の中には、38億年の生命史+100万年の人類史+個の年齢という途方もない時が為した営みがあります。

たとえひとしずくの水であっても、その中に息ずくこの生命の尊厳ゆえに、それらあまねくすべての荘厳な歌が捧げられるに値します。
そして、目を上げると、暗雲の中に、これらの歌に守られた消え去ることなき数限りない命の灯火が、燎原の火の如く見晴るかす彼方まで広がるのを見るのです。

いかに世界を覆い尽くす闇であろうと、たかがマッチ一本の火でもそこに灯れば、それはもはや闇ではあり得ません。
どんなちっぽけな灯であろうとも、そこに灯れば、それは希望となり闇を殺すのだと!
どんなに闇が強大で、更なる深みに世界を覆うが、人が生命を持つ限り、侵し尽くすことはできないのだと思うのです。

それらの歌は、そのための狼煙の火であり、これら火こそが、人類の圧倒的多数の魂に灯るものなのだと!

大きな願いをかなえるためには、私の想いや実践がまだまだ未熟であることをはがゆく思います。

これからも、一生懸命研鑽に励みたいと思いますので、どうぞ、温かく見守ってくださいませ。

別項で、お礼の気持を込めて、まだ未完ですが『サハラ砂漠紀行』を載せさせて頂きます。
少しずつ成長させていきたいと思います。

みなさま、ありがとうございます。

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