志村 ふくみ

志村 ふくみ / 人間国宝、染織家、エッセイスト

志村ふくみ(写真左)

この人の手から世にも美しいものが生まれいづる。
神の領域からこぼれ落ちてきた蓮華の花のひとひらのような、誰も手を触れてはならぬ、そは天に属するが故に。

或年の早春、嵯峨野釈迦堂近くの志村先生のお宅におじゃましたことがある。
先生は畑から、まだ葉に産毛のあるようなヨモギを摘んで、ぐらぐら煮立つ大釜に入れられた。

ふだん私達が野菜を煮ても取り立てて何も思わないが、瞬間ヨモギから悲鳴のような叫びが聞こえたかに思えた。
いのちを奪ったのだ。
やがて煮汁の中に純白の絹糸を浸し、それぞれ灰汁と、酸化鉄の媒染液に浸けて干された。

しかしその時、私は世にも不思議な光景を見た。
それぞれ薄緑と灰色の陽に照らされた美しい糸であったが、何かが違っていた。
色は糸にくっついておらず、糸のすこし手前、またその奥に、離れて妖精のように浮遊している。

薄緑は灰色を、灰色は緑を胎児のようにそのふところに秘めて玉虫色にふるえている。
まさに色が生き物のように生きているのだ。
ヨモギであっては決して生まれない命が、そこに誕生していた。
草木のなかに秘められた、厳粛で魔法のような命の営みにそうっと手を添えて、空蝉を久遠の天宮に帰された
蛹から虹色に輝く無数の蝶が天空に飛び立つ様を見せられているような、とてもこの世のこととは思えないその“色”の音楽。

『 色は光りの受苦である 』 

このダンテの言葉の天蓋の下、イエスのなせし業と同じことが、色の世界で行われている。

>> 志村ふくみさんからのお手紙

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